論文「小津安二郎 日本的文化世界と洋画」の構成
アンドレアス・ベッカー
本論考は小津安二郎(1903-1963)の作品を日本的文化世界と映画のグローバルな
世界の中に位置付ける。そしてそこに生じる相互関係、共鳴、文化的または視覚文
化的な翻訳に似た現象を観察する。その中で比較美学的観点とフッサールの現象
学の考え方に基づき文化的グローバル化の範例としての小津作品を分析し解説す
る。また、特に小津の作業シナリオ、スケッチ、注釈などを参照し、映画作品との関
連を詳細に検証する。
第1章 検討事項 は本論考の理論的枠組みを紹介する。特にエドムント・フッサ
ールの世界の概念は本書の論の手引きとなった。文化世界という用語についての議
論では文化というそれ自体開かれた概念を精密に論じる。ロルフ・エルバーフェルド
の比較美学についての論考が示すように、世界コンセプトには様々な結合価がある。
フッサールは文化世界、環境、異郷世界と故郷世界、または近い世界と遠い世界を
区別する。これらの
概念は生活世界に基礎付けられる。こうしたコンセプトは特に無規定性との関
連によって互いから区別され、フッサールの無規定箇所の概念と結びつく。文化が
異郷的に目に映ることを、私は歳月をかけて変化する観念の共鳴過程の中での、特
に知覚的視野の不一致などの期待の不充足によって経験する。
ここには補完的にメディア世界という概念が導入される。つまり映画のような
画像媒体で示され、グローバルに配信される世界である。メディア世界によって私
は―間接的に―他の文化世界を経験し、自己の異郷体験を行う。本論考は繰り返
しフッサールの意味する世界との関連に立ち戻りながら、これを小津映画を例にして
精密に論じる。西洋からの輸入品としての映画は文化世界を結合し独特の異文化
間知覚のグローバルな共鳴効果を生み出した。
第2章 資料 は小津についての研究文献および資料の概観を示す。ここではこれ
らの資料を紹介し、小津研究の現状を確認することで、本論考の中で小津の手書き
の補足、スケッチ、注釈に基づいた彼の映画の新しい解読を試みるための足固めを
する。
第3章 借景。小津と借りられた空間 は本論考で最初の分析の章である。小津が
どのように庭園芸術において知られる借景の概念を映画美学に取り入れたかを詳
細に論じる。それによって映画とは異種の知覚分野に重点を移し、前景、後景およ
びフレーミングの別種の扱い方に着目する。計成の園治(1635)とクリスチアン・カイ・
ヒルシュフェルドの庭園芸術の理論(1779-1785)における初期ロマン派のコンセプト
を比較することにより、まず風景式庭園の理論が計成の理論とは根本的に異なるこ
とを示す。計成の庭園が意識と知覚の形式を喚起するものであるのに対し、ヒルシュ
フェルドの場合には庭園と自然の繋ぎ目のない同調の幻想が支配的である。基礎
となる空間のコンセプトに違いがある:一方は分断と強い変化を遂行するもので、も
う一方は想像的で主観概念に基づく。小津の骨壷が納められており、彼のいくつか
の映画の舞台ともなった、北鎌倉の円覚寺の境内の具体的な庭園分析を基に、この
聖庵の例では借景が実際にどのように使用されているが論述される。 次に借景のコンセプトが小津の映画美学に与えた影響について論じられる。小
津は日本的環境の中にある借景場面をモチーフとして描写し、または例えば前景
と後景を同等に扱うことのような、借景の美学的原則を映画に応用した。特に晩春
(1946)、朗らかに歩め(1930)、父ありき(1942)、麦秋(1951)では、建築、室内装飾、
仏教施設の描写などによってどのように景色を「借りて」いるかが示される。それに
よってこれらの映画の中心的なシーンが新しく解釈される。それは例えば晩春の寺
社のシーンであり、有名な京都の月明りの中の壺の場面である。章の最後では、想
像力を喚起し画の性質を発見させ、風景を画にする借景の役割を論じる。
第4章 記号論的空間。小津の記号 では言語学的な論説を行い、西洋のアルフ
ァベット文字との比較から、日本の文字の特殊性を探る。表意文字的性格、書き言
葉と話し言葉の分離、中国文化との関係、漢字と部首の組成、書道芸術のようないく
つかのテーマを詳細に解説する。続いて、日本語文法の独自性に取り組む。日本語
文法では、主語がなくても文章を識別でき、いとも簡単に(漢字を使わずに二種類
の音節文字のいずれかで)メモを取ることさえ可能なのである。次にこのような特徴
に従って小津の秋刀魚の味(1962)を分析する。有名なシーンで元教師の佐久間は
「鱧」という字を宙に書く。この漢字により実現される細やかな差異がここで詳細に
論じられる。さらに小津映画のもう1つの特徴的な表現法が解説される:公的な場
所の看板、記号、広告の扱い方である。
第5章 アクション・カット。彼岸花(1958)の台本分析は彼岸花の作業台本の詳
細な分析の中で、小津が書き込んでいた「a-c」という記号をそのヴァリエーションを
追って解説することを試みる。全ての100に近い注釈および、それぞれの映画シー
ンへの分類のような小津のメモが示すように、この記号がモンタージュの指示であ
ることがわかる。つまりアクション・カットの略語なのである。ここでは古典モンター
ジュ理論に立ち戻り、小津がいかに独自のやり方でこの手法を使用したかを究明し
たい。これはデヴィッド・ボードウェルとクリスティン・トンプソンの論考以来の小津
研究のトポスである。しかし、小津がこの手法を熟知し、これを動きの中でのカット
とする洋画の用法と自分の用法との違いを明確に意識していたという事実はこれま
で気付かれないままだった。小津は例えばハリウッド映画とは全く違った編集をす
る。登場人物の空間における移動を誇張するためにカットされるはずのところで、小
津は静止し座った人の動作を「アクション・カット」する。彼は微細な動作を編集し、
手の動きさえモンタージュの契機として捉える。このような視る人を惑わすような効
果は小津が狙っていたものであり、完全に意図的に使用していたものであることが、
台本中の彼の覚書を基に実証される。
このような示唆を辿って本章は小津映画の小さなモンタージュ理論を展開する。
彼の論文映画の文法(1947)を読むと、小津が自身の美学を存分に作品に反映しこ
れを自ら分析していたことがわかる。小津は新しいモンタージュ形式を時代に先ん
じて実践しており、特に彼岸花では-実に簡単な手段で-アルフレッド・ヒッチコッ
クのめまいのズーム効果の先取りさえしている。
第6章 スピリチュアルな空間、思念、記憶そしてトランス は、非常に繊細なあり方で
霊魂や死者に言及し、それらの存在が物理的存在以上のものであることを示す、神
秘主義的な小津の一面を追う。例えば秋日和(1960)の冒頭では、茶葉の茎が茶碗
の中に立つと縁起がいいという「茶柱」の迷信について語られる。死、予兆、兆候な
どとの小津の取り組みは彼の後期のドラマツルギーの中で次第に大きな意味を持
つ。小津は後期作品の中で肉体的、精神的な存在の境界を消し去っただけではない。彼は画像の中の次元間をも行き来し、映像は今や静物画となる。小津作品にお
けるこのような特徴を記述するにあたり、ここでは占術の古典である易経を参考に
して開発したという、カール・グスタフ・ユングの共時性のコンセプトを導入する。東
京物語(1953)の印象深い、有名な列車のシーンでは、物理的な空間が登場人物た
ちの思念の中で超克されてゆく様子が描かれている。
第7章 小津の空間 では小津的世界の空間がどのように構築されているかを考
察したい。まず、小津特有の、それぞれの映画を超えた、特にバー、レストランなど
から成る迷宮のような書割空間を分析する。彼の複数の映画を横断して(多くは同
じ俳優によって演じられる)人物がほぼ同じ空間で同名のバーに立ち寄る。アーカイ
ブ資料を参照すると、小津は映画セットを多用しただけではなく、ロケーションハン
ティングに多大な労力を費やしたことがよくわかる。彼は東山魁夷、橋本明治、加藤
栄三らの画家の作品を画面の背景に展示し、それらに劇的な役割を与えることによ
り、画面の特質を浮かび上がらせる。また、ロケーションハンティングの写真を検証す
ると、小津が都市の日常から発想を得ていたことがわかる。銀座などの建築の光景、
または休耕地や建設現場も彼の映画の素材となっていた。
第8章 小津とジョン・フォード は両監督の共通点を検証し、彼らの間には多く
の様式的類似性があったことを示す。ここでは小津が好んだジョン・フォードの作品
が彼にどのようなインスピレーションを与えたかを検証する。
第9章 眼差し。羞恥と罪悪感の文化 ではジャン=ポール・サルトルの眼差しと
羞恥の理論を取り上げ、これをルース・ベネディクトの日本の恥の文化の論説と結び
つける。同章はまずこの文化人類学的概念を取り入れ、映画分析に転用する。両者
の命題から出発し、羞恥と罪悪感のナラティブがいかに成立し、小津の映画がいか
に強く恥の感情の描写に基づいているかを示す。分析の対象となるのは彼岸花、早
春(1956)と秋日和である。
第10章 展望 では将来の小津研究がどのような領域を論じるかについての予
測を試みる。
(翻訳: Kayo Adachi-Rabe)